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株式会社アルテカ
株式会社アルテカ|アルテカが選ばれる理由
アルテカが選ばれる理由
歌謡界の大御所・三波春夫様(「東京五輪音頭」等の代表作多数)のご自宅を
当社で土地活用させていただきました。
当時のお話やアルテカの事業・展望について、ご子息の三波豊和様と当社代表が振り返ります。
アルテカ億ション「ベルテシリーズ」オーナー様のご感想
タレント・歌手・俳優 三波豊和様 株式会社アルテカ代表 野村紘一
三波
現在私はアルテカさんが数多く販売しているマンション『ベルテシリーズ』の1つに住んでおります。さすが超高級マンションの先駆けとしての質は完璧で、ハイクオリティーな外観や居住空間などには大変満足しています。
野村
ありがとうございます。そもそも三波家とのお付き合いのきっかけは豊和さんのご結婚からですから、もう随分月日がたちました。 お父様の三波春夫さんにもアルテカが主催した歌舞伎座のリサイタルに主演していただく等、今日迄当社としても長くお付き合いをしていただきました。
アルテカの日本初【億ション】と「超高級マンションブーム」の火付け役
三波
野村会長の事業のアイデアや実行力についてはいつも驚かされます。その代表的なものが、アルテカさんが誕生させた『億ション』ではないでしょうか。
野村
1975年に開発した『ベルテ原宿』が、日本の億ションの始まりです。都内の3LDKのマンションの平均価格が1500万円だった時代に1億円のマンションを誕生させたのです。最初は当然そんな高額なマンションがこの時代に売れる訳がないと言われたこともありました。
三波
当時のマンションはまだある意味、アパートの延長線上だったような気がします。
野村
確かにそうですね。家を購入するなら一戸建て、というのが主流でした。しかし日本は島国で面積が狭く山も多いのに、欧米に比べて土地の有効利用が遅れていると当時から痛感しており、景気に左右されるのではなく自ら付加価値を高めて有効利用する開発をして行けば日本の住宅文化も豊かになり、付加価値の高いマンションを建てれば必ずそれを求める人はいるはずと思い挑戦しました。
三波
それで、当時の実際の反響はどうだったんですか。
野村
こちらも驚くくらい興味を持たれる方が現れ、問い合わせも多数いただきました。売れ行きも好調でメディアでも「億ションが即完売」と取り上げられました。その後高級マンションの需要は増え、わずか5年の間にマンションの部屋1室が20億を超えた事もあったくらいです。1室が30億円というマンションも出現するなど、正に日本の経済発展の象徴のような存在となりました。
三波
正にブームの火付け役となった訳ですがどうでしょう。ズバリ成功は確信されていたのですか?
野村
今だから言えますが、時代に先駆けた勝負の面もありました。いずれ高級マンションが求められるとの確信はありましたが、売り出す時期の見極めはなかなか難しかったですよ。しかし高度経済成長を経て家電や車が普及して人々の生活レベルは向上したのに、住居がそれについて行っていない。日本もいずれは欧米レベルの住居まで到達しなければならないと強く感じていました。ですから潜在的なニーズがあり流行るという予想もしていました。あとは決断と実行でしたね。
高級マンション建築のはしり
開発した土地それぞれに適した付加価値を付ける事によって、同じ建物にはなりません。
三波
その後、同業他社さんが高級マンション建設に次々と参入しましたが、ずいぶん真似をされたのではないんですか?
野村
他の会社が当社の物件を色々研究していたのは知っていました。あるマンションのプロジェクトがスタートすると、見学のお申し込みの半分は同業者でしたから。でもそれを断りませんでした。どなたがいらしても全部お見せしますし、真似されても良いと考えていたのです。それはつまり、当社は同じマンションを二度と造らないからです。人真似では事業は伸びませんし、不動産業界では生き残れないというのが私の持論です。開発した土地それぞれに適した付加価値を付ける事によって同じ建物にはなりません。新たなデザイン・アイデアなどを打ち出し、且つ総合付加価値を付けて差別化されているからこそ、いつも時代の変遷を先駆した当社の作品を選んでいただいていると自負しております。
三波
会長の経営哲学が垣間見られるお話ですね。
野村
当社は単なる豪華さを極めるのではなく、品や格式は当然ながらも、更に様々な高付加価値を細かく加えてより良い高級感を目指しています。ロビー空間を大きくとっているのも特徴の1つでしょう。マンションには戸建住宅とは違う高付加価値が重要で、それはマンションならではのダイナミズムや室内の空間作りのクオリティーです。また、当社のマンションだけが突出して華麗さを誇示してもいけません。周囲の環境に溶け込んだ外観や植栽なども大切な自然要素で、それが建物のコンセプトになっています。当社が建設したエリアには他社の業者が狙い打ちをし、次々と各マンションを建てていくので、その場所が更に活性化となり、街が見違える程、変わっていく感じが歴史的多く見られる現象があります。つまり街づくりの元を創っていると云っても過言ではないでしょう。
三波
街づくりにまで貢献した事業になったわけですね。会長ご自身が考える発展の要素はどんなところにありますか。
野村
私はタイムイズマネーを常に意識し、時代の流れに敏感であるよう心掛けております。ビジネスにおいては小さなマーケットを争奪するのではなく、マーケット自体を広げる事を考えるようにしています。私の経営哲学の全てが正しいかどうかは分かりませんが、昭和50年の創業1年目から黒字経営を達成し、現在も無借金経営を維持しているのは事実ですが、やはり、全てが本質的考察をもって、時代に先駆け、総合的な高付加価値を変化と共に、常に合理性の先取りを追求し実現してきたことが成功の素だったのでしょう。
三波
それは、素晴らしい歴史ですね。
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